脱出
覚えているのは、真っ暗な玄関で靴を手探りで探していたことです。
なんとか右用と左用のくつを探して(左右違う靴でしたがそんなことは言ってられませんでした)玄関からマンションの外にでると周りの光景が一変していました。
当時、私は独身で1人で暮らしていました。
伊丹市に実家があり、母と祖母が住んでいたため安否の確認をしようと電話をしましたが、当然つながりません。
車で移動しようとしましたが、周りの状況を見ると、車で移動しても動けなくなることがあると思い、近くのいつも買い物をしているお店で自転車を借りて、地震直後の町の中を芦屋市から伊丹市まで自転車で移動しました。
あの非常時に、自転車を借りられたのはラッキーでした。
自転車を快く貸して頂けたお店の方に感謝です。
阪神高速道路の下を通っているときに、高速道路の「部品」が道路のあちこちに散乱していました。
ボルトや金具など普段は下から見上げている道路の部品は意外に大きく、机や椅子くらいの鉄の塊が落ちています。
こんなものがもし人に当たれば怪我ではすまないなと感じ恐る恐る自転車に乗っていました。
西宮市に入り、えびす神社の前まできたとき、道路に人だかりができていました。
阪神高速道路の下は、片側4車線の国道なんですが、震災直後は車が動くことができなかったため国道の真ん中まで人が集まっていました。
何があるのかなと思い近づいてみるとトラックが事故をしています。
でも、なんだか様子がおかしいんです。
よくみると上から橋脚が落ちて、トラックの運転席を直撃して運転席がぺしゃんこになっています。
高速道路を見上げると、観光バスが高速道路の落ちた橋桁から前輪が脱輪した状態で宙づりになっています。
このときに見た光景は衝撃でした。
この文章を読まれている方の中には、当時のテレビニュースなどで私の見た光景を、ヘリコプターからの映像でごらんになったことでしょう。
皆さんは、テレビの画面を見てアナウンサーが
「橋脚が落ちてバスが宙づりになっています」
としゃべっているから、その画面を見てすぐに理解できますが、いきなり解説なしでその現場を見てしまうと、橋脚が落ちてトラックが下敷きになり、バスが宙づりになっていることがしばらくの間理解できないのです。
(いったい何が起こったの?)
まさか、橋脚が落ちるなどとは誰も想像もしていなかったと思います。
私も目の前で起こっている出来事を理解するのに何秒かかかりました。
幸いにも、実家の母と祖母は無事で、電気、ガス、水道も被害はほとんどありませんでした。
自宅に戻っても、震災直後の被災地ではどうしようもありません。
避難所に行っても、食べることすら難しいと感じた私は、すぐに実家に避難しました。
ですから、私は震災時に避難所生活をすることはなかったのです。ラッキーでした。
(つづきはこちら)
1 若いころ
2 阪神淡路大震災
3 脱出
4 お金が紙切れに
5 何かが違う
6 うつ病で退職
7 見えない世界の入口
8 治ったという思い込み
9 原因は頚椎ヘルニア
10 リンパセラピーとの出会い